欠乏感は どこからくるのか

自分の中に

なにかを やらなければ ならない

という 価値観が あります

たとえば 学びがあります

学んだことで 何かを やらねば

何かを 成し遂げなければ

何か 成果をださなくては

だって よりよい結果を 生み出す

その為の 学びだから

そこで 悩み始めます

まだ 達成できてない

まだ わかってない だって

まだ 学びが不十分だから

もっと 別の学び 気づきが 必要だから

だから できない

これは 知識だけに限ったことではないですね

心の ありようにも 言えるかもしれないです

こういう 心になったら

こういう 氣持ちになれたら

こういう 天からのサポートを 受けられたら

こういうものが 引き寄せられたら

その方法は どうやったらいいの?

学びを得ること 気付きを得ることが

どんどん

焦りの サークルにはまっていきます

何かを 成し遂げなくては ならない

何か 成果をださなくては ならない

それは 本当に そうなのでしょうか?

何か という その言葉には 自分自身を 離れた

何かを 求めている感じがしませんか?

自分の外に 何かを達成する その感覚

その感覚の 元には

自分自身は 何か欠けている 不完全だ

欠けている それを埋め合わせたい

そんな奥なる欲求が ありませんか

そして どんなに 満たそうとしても

満たされないという 思い

ちょうど 喉が渇いている感じがするのに

どんなに 水をのんでも その渇きは癒されず

水を飲みすぎて おなかが一杯になって

もう 飲めないのに どうしても 渇きが収まらない

そんな 焦りを 感じること ないですか

それは 水を飲むことが 解決ではなく

どんな 渇きなのかを 知ることが 大切なのかもしれない

渇きを 満たすことではなく 渇いている それはどういう

意味なのか それを知ることが 大切なのかもしれないです

肉体は 足りなくなることで それを埋め合わせなくては

その肉体を 維持することはできません

維持するために いろいろな 指示を

欲望 欲求という 感情にして 表現します

そして その欲求の対象は 外にあります

食べる 飲む 快適な空間 温度 

動物であれば シンプルですが

人間は その 求めるものが もっと多岐にわたり 複雑です

そして 身体は

心のことについても 同じことをやってしまいます

ただ そこでの 問題は

何かが欠けているという 大きな誤解に 基づいて

感情として その埋め合わせを 外に何かをもとめて

しようとするところです

その感情として現れている ココロとしての渇望感

それが 実は 

なにかを やらなければならない

何か 成果をださなくてはならないという

思い込みから生まれる 欠乏感という 感情ではないでしょうか

いま ここにあって そして すべてが ある

肉体は このことが 理解できません

それは 不足するという大前提があるからです 

それを 外にある何かで補い 自分を維持する必要があるからです

そう創られています そして

ココロや 魂についても 同じだという 一途な 思いをつくります

だから

すでに すべて ある そのことを

多くの場合 そうだねと 納得することは できない

肉体維持することを 感じている以上 それは仕方の無いことかもしれません

でも それは 欠けているのではという 一つの側面だけに

囚われているという ことだけなのかもしれません

光と影 という 発想を してみます

今 欠乏感は 影として 現れています

そして 影という その存在は 光という存在があるがゆえに

存在できる

だとすると

肉体として 与えられた 欠乏感は

完全であることを 知る その為の 影です

焦り 苦しさ 欠乏感 無力感という 肉体が感じる

その想いは 

ココロについて言えば なにも 欠けているものなど

ないんだという  その 光に対する 影です

その影を知るために 肉体としての 欲求があり

その影を知る為に

欲望という 比較という 優越感という

その肉体を維持する役割として生まれた 思考としての 自我がある

生体として それを 維持しようとする 根源的な欲望

それは

欠けている だから満たさなくては

そういう 根源的な 思い込みから 生まれています

そして

ココロについても 肉体と同じ その感覚をもってしまう

でも それには ちゃんと意味がある

欠けているものなど 実は何も無い ということ

それを知るために 肉体として表現されている 自分が与えらた

欠乏感という 影なのではと

つまり

光を知る その影として 存在するのではないでしょうか

まだまだ

藍色は その 欠乏感に振り回されます

たくさんの欠乏感があり それを満たそうと

肉体的にも ココロとしても

どうすればいいかを 考えてしまいます

だから 藍色は

その欠乏感の その正体 その役割 その意味

それらを 見据えてみたい

そう 思います
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# by deep_blue161 | 2009-05-01 16:49 | エゴに囚われているとき  

プライベートキャッチコピー

人は 自分で決めた肩書きのように 振舞う

といいます

そうですね そして その肩書きが 自分の感性にぴったりくれば

そのまま潜在意識に入っていくのではないでしょうか

こういう 自分になりたい それは 実際に経験はしていなくとも

そのイメージが 現実を創り出してくれる 牽引力にもなるかもしれません

そういう方向から 夢実現をサポートしてくれている

すごい人がいます

奇跡のネーミング作家 スズキ ヒカルさん

http://www.suzukihikaru.com/

プライベートキャッチコピーを 作ってくれます

ヒカルさんは ネーミングセッションというものをやってくれます

そのセッションを通じて プライベートキャッチコピーを考えてくれます

Skypeでのセッションだったんですが

本当にすごい熱意のセッションでした

藍色の中にある まだ 混沌としているイメージから

より具体的で そして力になる 

そんなネーミング(プライベートキャッチコピー)を作るべく

疑問なところ はっきりしていないこと それをいろんな角度から質問してくれました

そして 生まれました 藍色の プライベートキャッチコピーは

「ココロの相談窓口」

藍色が今実際に仕事にしている

ドクター相手のクレーム処理能力が ココロの相談には使えるということを

ヒカルさんはみつけてくれました

クレーム処理というのは

文句を言っているドクターの まず最初のつかみに 1分

つぎの5分で ドクターの苦情に対するニーズをつかめれば

そこまでいけば もう80%は成功

というような仕事です

その能力 使えますよ ヒカルさんは言ってくれました

すごく うれしかったし それが力となることを教えてもらいました

現役クレーム処理のプロがやる「ココロの相談窓口」

うん なんか 重みがあるなあ(笑)

ということで プライベートキャッチコピーを生み出してくれた

ヒカルさんに感謝です

夢をかなえていきたいと思っている人 でも

まだなかなか具体的なイメージができてないなと思う人

お薦めです! 一度やってみてください

そこから 希望の光が見えてくるかもしれませんよ
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# by deep_blue161 | 2009-04-20 16:49  

思考と無意識

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藍屋こころ染めって?
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思考の話しをしています

思考する

これは もう 人にとって 当たり前すぎて

意識することができない

改めて 思考しているということに意識してみると

思考が まるで激流のように流れているのがわかります

そして それは あたらに生まれ 消えて行く

そう まるで 激流の川の流れを 見ているような錯覚にも

なります

そして それは 無意識で動いています

思考の 一番の目的は

自分は こういう 人間だということを 定義することです

そして その定義を維持する 時として状況により その定義を

変えます

こういう 自分

こういう 役割

こんな 性格(性格もかなり後天的ですね)

そうやって 定義して そして 自分はこういう人という

思い込みが 作られる訳です

それから 生命維持の目的もありますね

これは 肉体的な 安全を守る

それが 行き過ぎると

自分を守るための 攻撃や 戦争まで 生み出してしまう

戦争という 人殺しを 正当化するのも 思考です

昨日 ある 友人と話している時に気がついたことがありました

彼は 話している途中で何度も それはどういうことだろうと

考え始める 思考するのです

そして わからないと 言うんです

藍色が 話していることを 自分の思考で解釈しようとする

思考は 自分が持っている記憶から 理解を得ようとします

ということは

話しを聞きながら 考えているということは

絶対に 自分の枠から出られないということです

考えてみれば 怖いことです 心としての成長が それ以上はない

ある意味 拒否しているのです

過去の経験の中に 生きているといってもいいかもしれません

思考している これを 無意識にやっている

実は これは とっても 怖いことなのかもしれないですね

でも まず ほとんどの人は そうしてしまっている

それも 事実ではないでしょうか

藍色だって そういうことの時の方が まだまだ多いなと思えてしまいます
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# by deep_blue161 | 2009-03-27 09:12  

思考を止めてみると

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藍屋こころ染めって?
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藍色です

唐突に・・・・・ 思考を止めるなんて

できるわけがない

そう思いますよね

だって 思考するって 人にとって欠かすことのできない行為?

といえるかもしれないですから

毎日 何かやるのにも 思考というのは大切だと思っているし

人は考える葦である と 哲学者のパスカルはいいました

考えるということ それは思考するということなので

人は 思考する 生き物 それが 自然界の 他の生き物との違いと

いっても いいのかも しれません

でも あえてここで 思考を止めるっていうことを 提案してみます

なぜなら

思考は あなたという 概念をつくります

概念をつくるのが思考の役割なので 当たり前ですが

あなた自身ではありません

そうですよね 思考があなたと イコールではないですね

ただ 思考が あなたという概念をつくっているだけにすぎないということです

でも 多くの人は 思考でつくられてた 自分を

自分として 同一化してしまっていると思うんです

私は あなたは

こういう人 ああいう人

私は あの人にこういわ性格だといわれたから きっとこういう性格なんだろう

反対に そんな性格じゃない

性格判断で こういうのがでたから

自分は××である(××= 役割です 例えば、男性 女性 母 父 職業 若い 年寄り などなど)

××なので こう あらねばならない



これらは全部 思考が作り出した 私というものなのかも あなたというものなのかも です

「・・というものなのかもしれない」 というのが キーワードですね

概念で作り出された自分って 本当でしょうか?

本当だよって 思うかもしれませんが

本当に 本当に そうなんでしょうか

だんだん 自信がなくなってきませんか

私って なんだろう?

私って誰? なんていう 極端な質問も 面白いです

思考ということに 意識を向けていくと

思考で作り出しているものは もしかすると 実態ではないのかもという

想いに 行き着くかもしれません

これは ある意味 禅の世界につながります

じゃ 止めなくていいので

5秒の間 思考に意識して

いったいどういう思考をしたのか 思い返してみましょう

どうですか あえて思考しようとしたら わからなくなった という人もいるかも

すごく沢山のこと「考えている」 と 気がついた人もいるかもしれません

さて・・・・・・・・・・

続きます
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# by deep_blue161 | 2009-03-24 16:24  

藍屋こころ染めの藍色です

ここを訪ねてくれたこと、感謝しています。

藍屋こころ染めの藍色です。

藍は、もともとの藍の色よりずっと綺麗な色となって生地を染めてくれます。
そのさまが好きで、藍色という名前をもらいました。

人には、魂がもっている色があります、その色はこの世界でたった一つしかない美しいもの。永遠であり色褪せることもないものです。そして人生という生地を、その色で染めていくことができたら、素晴らしいと思うのです。

でも、人生を過ごすうちに、その魂の色の上から、外の価値観や思い込みという他の色に、自分の人生を染めようとしてしまいます。そんな時に苦しみが生まれるのではないでしょうか。自分の色ではない違和感と本当の色を見つけられない葛藤があるのかもしれません。

私は心理療法や自己啓発、セラピー、ヒーリングなどを学び、人生という生地を自分色に染めるお手伝いができたらという思いを持っています。自分の色に染まった人生という生地を、魂が羽織る、それがまさしく豊かさであり、幸せなのではと思うのです。

そんな想いから、「藍屋こころ染め」という屋号をつけました。ここでは、違う色に染まってしまった人生の生地を清流で洗い流します。余計な色がなくなれば、あなた本来の魂の色が人生という生地に浮き上がってきます。心配しないでください、自分色は既にあり、そして色褪せることも消えることもないのですから。

余計な色を洗い流していきませんか、それだけで、あなたの色が見えてきて、輝いてきます。そんな人生が素敵だなと思うのです。

2009年3月24日

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# by deep_blue161 | 2009-03-24 13:25